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小手川恵前議員からのバトン
引退するにあたって感謝とお願い
小手川 恵
 4期16年をもって大分市議会議員としての活動を終了させていただくことになりました。多くのみなさんのお力添えで議会におくりだしていただき、働かせていただきましたことに心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 引退を知った多くのみなさまから、「まだ、若い。まだまだ働けるのになぜ?」という声をいただきます。私を惜しんで下さる言葉にうれしさとともにその期待にこたえることができない申し訳なさでいっぱいです。「なぜやめるのか?」の問いに誠実にこたえなければなりません。

 私の一身上の都合であり様々な事情がありますが、あまり公にしたくなかったのですが一番大きいのは心の健康を患ってしまったことです。06年4月、約2年間の闘病生活をへて夫をがんで亡くしましたが、実はその前からすでに精神的バランスを崩していました。次期選挙は難しいだろうと夫と判断し、3年ほど前に党機関へは次期は立候補はしないという意志表示をしていました。

 夫の闘病中に私の4期目の選挙、そして小泉政権のもと自民党が大勝した衆議院選挙が闘われました。文字通り私にとっては必死の選挙でした。夫を亡くしてから闘われた堤栄三さんの議席を回復させていただいた県議選。そしてその後の参院選は、自分自身を叱咤激励しながら闘いました。もちろん議会活動も、全力投球で、がんばってまいりました。

 5月、正式に引退が決まってからは、幸いなことに、精神的バランスも落ち着きを取り戻しつつあります。
 すぐそこに迫った衆院選挙は、国民にとって政治をかえる大きなチャンスです。九州沖縄ブロックで2議席を回復し、来年2月の市議選で4人当選を果たすよう、全力疾走をしたいと思います。そして、その後ゆっくりとじっくりと心の健康を「よし、大丈夫!」というところまでとりもどし、またなんらかのかたちで社会に貢献しながら生きていきたいと思います。

 かわのひろこさんは、4期16年野津原町議をつとめた試されずみの政治家です。女性議員の議席を引き継がせていただきますようお願いいたします。

(08.09かわの後援会ニュースより)


みなさんと政治を変え、
切り開いていく議員として働かせてください
河野 広子
 福田首相が突然辞意を表明し、二代にわたる政権投げ出しは自公政治の行き詰まりを表しています。迫ってきた衆院選挙は、高齢者を差別する後期高齢者医療制度、若者を使い捨てにする雇用のあり方、大企業や大資産家だけが肥え太る今の政治の在り方を転換できる大きなチャンスです。「政治の中身を変える」日本共産党に大きなご支援をお願いします。

 私は、34歳の時に、野津原町で初めての日本共産党の女性議員として議席を獲得し、途中議席を失った時期もありましたが、大分市と合併するまで4期、議員として働いてきました。初めて議員になった時、3人の子どもたちは小学生と保育園児。母子家庭でしたが、子どもたちの助けをかりながら、いつも元気に明るく議会活動と子育てを両立してきました。その子どもたちも、今では大学生と、2人が社会人として働いています。

 町議時代、ゆがんだ同和行政を改めさせるために何年間も粘り強く取り組みました。小中学校の保護者負担の軽減や西部小学校統廃合計画を保護者や関係地域の方々と一緒にストップさせるなど、「政治は住民が変えて切り開いていくことができる」ことを学びました。

 今、「市民アンケート」に取り組んでいますが、返ってきたアンケートには、政治に対する怒りと日本共産党に対する期待の声などびっしり書き込まれています。
 みなさんとご一緒に政治を変え切り開いていく議員として働かせていただきたい、その思いでいっぱいです。議案提案権をもつ日本共産党の大切な四議席を守り、女性議員の議席を引き継ぐためにがんばります。お力添えをお願いいたします。

(08.09かわの後援会ニュースより)

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