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◎「おなか記」バックナンバー 03

 おなか記 第12回
歩き始める、ということ  2009年7月8日(水)
 「核兵器廃絶と平和に向かって歩きましょう」
 今年51周年を迎えた2009年原水爆禁止国民平和大行進が、5月6日スタート。7月5日に大分入りした。

 6日午後、私も佐賀関から鶴崎までの11.4キロを歩いた。今年で2回目。照り付ける日差しのまぶしさと、アスファルトからの熱気で暑くてたまらないのだけど、気持ちが良い。

 見知らぬ人に声をかけ、手を振るなんて、恥ずかしくてたまらないのに、横断幕を持ち核廃絶のゼッケンをつけると、へっちゃらだ。何故だろう……
 さて、行進の先頭を行くのは、わが議員団の広次さん。黄色いTシャツとキャップが、日焼けした肌によく似合う。

 進行状況をチェックしながら、時に交通整理をし、大きく手を振りながら黙々と歩いている。その後姿は、議員活動をしている時より、議会の中で見るより、堂々と大きく見えた。

 さあ、市議選も無事終わり、私も議員団事務局3期目に突入!無理をせず、力まず、私らしく歩いていきたい。

 おなか記 第11回
さよならはもう少し待って……Hさん  2009年1月13日(火)
 死ぬときは、誰だって一人ぽっちなのだけれど、ただ一人冷たい部屋の中で、誰にも知られず逝ってしまったH氏の事を想うと、あまりにも悲しくて涙が止まらない。

 共有できる相手も見当たらず、もういないH氏に問いかけたり、独り押し問答を繰り返すうち、ポッカリ胸に穴が空いてしまったようで、体が動かなくなってしまった。
 ありがたいことに風邪を引き込んで、四日ほど寝込んでしまった。何年ぶりだろう……

 「困った時、助けてもらった恩を忘れずに、今度は自分が共産党員になって困った人のために頑張りたい」と一生懸命だったHさん。

 いつも福間市議の側にいて、どんなことでも嫌と言わずに、ニコニコしながら惜しみなく活動し続けたHさん。
 今回の市議選挙に向けては、誰よりも早くから、福間市議の支持の訴えに走り回っていたHさんの意志を私たちが継ぎ、今度の選挙は『彼の弔い戦』と位置づけて、この大道から勝ち取ろう!」

 葬儀の後、参列した同志の方々に、あつかましくも泣きながら大演説を打った私だったが、実はこの有様だ。情けないやら、恥ずかしいやら……

 「私の為に泣いてくれるのは嬉しいけれど、お願いだから選挙が終わってからにしてよ」笑いながら、照れたようにそう言うH氏の顔が見えるようだ。

 側にいて助けてくださいね。頑張りますから!


 おなか記 第10回
3度目の市議選  2008年12月23日(火)
 この控室が私の職場になってから、3度目の市議選を迎えようとしている。といっても、一度目は選挙真っ只中、突然あいた穴をふさぐ応急手当に駆けつけたようなものだから、訳が分からずあっという間に過ぎてしまった。

 二度目は何か出来るだろうと気持ちは昂ぶるものの、結局何をして良いかも分からず、ただ走り回っていただけのような気がする。

 そして三度目。相変わらず何も出来ない私は、大好きだった「ドラえもん集団」への想いを込めて、八年間この職場で私が見てきたことをそのまま伝えたくて、生まれて初めて私自身の名刺を作った。

 出来上がった名刺を前にドキドキしていた時、すっかり忘れていた同級生からの電話が入った。障害を抱えたご主人との今後の生活で悩んでいた彼女の相談は、大分市議団から中津の共産党議員にバトンタッチされ、そこでの対応により元気付けられ問題も無事解決したとの報告とお礼の内容だった。

 信頼のバトンタッチは、大分市だけではなく全国に繋がっていることはもう十分承知していることだったけれど、彼女の嬉しそうな電話は、不安そうにしている私の名刺の肩をドンと押してくれた。


 おなか記 第9回
権利意識について  2008年7月1日(火)
 「権利意識を持とう」なんて、まるで中学校の教科書に出てきそうな言葉だけれど、はたしてどれほどの人が、この意味をきちんと理解し行動しているだろう。特に女性は、男女平等の教育を受けてきたにもかかわらず、職場でも家庭の中でも、当然のように権利がない場合が多い。なのに、前向きに変えていこうと努力することもなく「こんなものよ」と現状維持のまま愚痴ばかり…

 かくいう私も、今の職場に来るまでは、意見や感想を述べることはあっても、権利を主張するなんて、とんでもなかった。自分の本当の気持ちを押し込めて、いつも目立たないように行動してきた。ずっと書き続けてきた私の日記の中には、矛盾や悔しさ、不信感がいっぱいだったような気がする。いつのまにか、「世の中って、人間って、こんなものよ」と拗ねていたのかもしれない。

 そのせいか、自分の思ったことをはっきり言ったり行動する人を見ると羨ましく思う反面、そのことで衝突が起きたり、周囲の空気が重くなると、その人がとてもわがままに思えてしかたなかった。「少しがまんすればうまくいくのに、どうして譲ることができないのだろう」と、心の中では権利を主張した人を責めていた。人に嫌われないようにと、控えめな言動が身についていた私には、権利意識のかけらもなかったのだ。

 仕事をやめて結婚したのも、シンドイ現実から逃げたかったからかもしれない。しかし、権利意識を身に着けていない私は、逃げ込んだはずの家庭の中でも、引け目や負い目、意見・価値観の違いなど、新たな苦しみから自分を守ることが出来なかった。職場で感じていた矛盾や悔しさ、不信感は、家庭での近所づきあいや家族関係の中にも容赦なく入り込んでくる。もう一歩のところで自分を主張できない私は、誰にも気づかれることなく、苦しみ、落ち込んでいった。

 最近「KY」という言葉をよく聞く。
 「空気が読めない!!」
 テレビのバラエティでは、これが悪いことのようにからかわれ、嘲笑される。「空気を読み、場違いだと思えば言いたいこともがまんする」という生き方を選んできた私は、「KY」の風潮にやりきれなさを感じてしまうのだ。確かに空気を読むことは人間関係に必要だが、相手に合わせてばかりで、自分を主張しないことはいいことなのだろうか。私が苦しんできたこんな生き方を、多くの若い人に求めても本当にいいのだろうか。

 そうではない。その場に合わせる、その人に合わせるということは、とても無責任でいいかげんなことなのだ。それは自分を裏切ることだし、同時にその人も裏切っていることなのだ。私が黙ってにこにこしていれば、その人は私に理解されたと思うだろう。しかし私は反対の意見を持っている……、そんな不誠実なことがあるだろうか。私は人にそんな態度をとられたくはない。私が悪ければ、その場で言ってほしい。空気なんか読んでほしくない。

 日本共産党大分市議団の控室で仕事をするようになってからの8年は、大人の中に紛れ込んだ子どものように、ドキドキの毎日だった。
 4人の議員たちは、それぞれの持ち味や得意分野で思う存分力を発揮し、新たな問題点やわからないことは直ぐに調べ上げ、お互いに支えあい協力しあう、本当にチームワークのとれた素敵な『ドラえもん集団』だと思う。(よその会派はどうなのかな?)
 同時に誰に対しても対等・平等で、48万大分市民の応援団として活躍している。

 最初の頃、わが議員団の紅一点『しずかちゃん』が、団長の『ジャイアン』に真っ向から反論する場面に出くわすことがあった。そんなとき私はひとりで冷や汗をかいていた。おろおろしながら片方の意見を聞いていると「そうだナー」と納得し、又違う方の意見を聞くと「なるほど。そんな考え方もあるんダ」と、あっちにもこっちにもうなずき、そんな自分がこうもりみたいでいやだった。

 議員たちは、納得がいかなければ徹底的に議論する。けれど間違いや勘違いがわかれば、あっさり認め、バトルの後は何事もなかったように冗談を言ったりけなしあったり……
 それは、批判でも口論でもなく大切なことや真実を追究する姿なのだ。そうやって、『住民が主人公』の大分を目指しているのだ。

 相変わらず何も言えずそばにいるだけの私だけれど、8年間共に過ごす中で身に付けた意識と体の重さで、少しだけふてぶてしくなったような気がする。

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