臼杵市議選の支援に入りました。
 臼杵生健会の会長でもある平川氏は4選をめざしています。平川氏の地元大浜地区、また深江地区に、へたな演説ですが一生懸命に、日本共産党2議席の役割と平川氏の支援を訴えてきました。

 私は深江地区の一番奥の部落である、泊ヶ内で、生まれました。ここで1歳8ヶ月まで過ごし、その後、臼杵市内の市浜で高校卒業までを暮らしました。両親は漁師をしていました。泊ヶ内にいくのは1年ぶり。

 演説の後、宮子おばさん(50年前、私を取り上げてくれた助産婦さんでもあります)に会いました。久々の出会いでもあり、たいそうなもてなしをうけました。
 自分で作っているキャベツ、サヤエンドウ、みかん、旬のふき、そして自慢の自家製奈良漬けなど、たくさんのおみやげをいただきました。宮子おばさん、ありがとう。
 ・・・でも多くは、選挙事務所の炊き出しに差し入れをしました。ごめんなさい。

4 出生地に久々に立つ

 4月20日、介護保険をよくする大分の会は、改正介護保険法の実施について、介護保険課・高齢者福祉課・保健所健康課と懇談をおこないました。
 「よくする会」からは、谷川代表はじめ13名が参加をしました。執行部の丁寧な説明、参加者の率直な質問。内容にはふれませんが、よりよい介護のために、有意義な意見交換会でした。

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3 介護保険で懇談会

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 4月12日に逝去された手川哲二氏は、日本福祉大学2部の2つ下の後輩です。大学の時も面識はありましたが、福祉の問題で関わりをもったのは、私が大分生健会の事務局に入り、事務所を中島から元津留診療所の横に事務所を移転してからのことでした。
 当時、彼は病院の医療相談員として、民医連活動の仕事に就いたばかりでした。きわめて温厚な性格でありながら、どんなことにも、精力的で信念の強さを感じとりました。

 生活保護世帯の実態調査や国保問題など、彼とともに取り組んだ活動はたくさんあります。また、大分生健会の活動にも精力的に参加していただき、会計監査の役目も10年近くしていただきました。

 一番の思い出は、長男・拓己君をかかえ、おむつをもって、夕方、大分生健会の事務所で、インスタントの焼きそばをよく食べていたことです。妻の恵さん(現大分市議)の夜勤があったからでした。

 当時「守る新聞」の配達も手伝っていただいていました。彼はまだ運転免許を取りたてで、ある日交通事故にあったことがあります。その時私は、なにもしてあげることができなかったことが、今でも心残りです。

 哲二氏のお別れの会。恵みさんの最後のあいさつは、「彼は最高のパートナー、もっとこれからも二人で歩きかった」というものでした。この言葉に涙があふれてきました。
 小手川哲二さんのご逝去、心よりご冥福をお祈りいたします。彼の意志をほんの少しでも、生かせるように・・・


● 4月15日(土)〜4月21日(金)

 4月19日、学校選択制について、11項目の公開質問状を教育長に提出しました。
参加者は12名でした。
 申し入れ文書を渡す人、申し入れ文書・公開質問状を読み上げる人、参加者一人一人が学校選択制について自分の思いを語りました。私も取り次ぎ役として同席しました。

 教育長は公開質問状の回答を、5月10日までにすることを約束しました。

 学校選択制を考える講演会を6月18日(日)大津町の県社会福祉会館でおこなう予定です。これからまた一段と忙しくなります。

(申し入れした公開質問状は こちら )

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2 学校選択制で公開質問状

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今週の私の活動をお知らせします。

懇談会風景、私は司会進行役を務めました。

1 故小手川哲二氏への思い

「お別れの会」での献花

申し入れをする有志の会のみなさんと福間健治

泊ヶ内漁港「当日は雨でした